海外ラオスで縫製工場での指導役として勤務した話 異文化を理解しながらスキルアップ

ラオスで縫製工場での指導役として出向した方の海外勤務体験談を紹介します

私は、山陰地方を拠点に展開されている縫製会社に勤務しておりました。具体的な業務内容としましては、自社工場にて縫製勤務している中国人労働者に対しての縫製指導及びミシンが故障した際の修理補助等を担当すると同時に、工場内の生産管理も担当しておりました。
その日の内に仕上げなければならない生産枚数に到達しているか、また、特注品の生産物に対しての進捗状況はどのようなものか等、多岐に渡る工程管理を一任しており、その進捗状況に合わせて人員を配置する等して、生産が効率良く実施できるように生産管理を進めておりました。
ある日突然上司の方から、ラオスに移動して、新規工場を立ち上げるので技術指導役として出向して欲しいと言う業務命令が言い渡されました。
私は、その瞬間頭が真っ白になりまして、英語や現地での言葉が全く話せないのに対応できるのであろうか、また、現地は野蛮な国ではないのであろうかと言う不安が付きまといました。
また家族は、確実に日本に居住させる形になるだろうなと様々な思いが過ぎる瞬間でもありましたが、必ず私の今後の人生のスキルアップに貢献してくれると思い、現地での勤務を希望しました。
実は、我が社では、中国に集中的に工場進出しておりましたが、中国での給与水準が日本に追いつくような形になってしまい、結果、中国での市場価値がなくなってしまうような形になりましたので私の所属している会社も含め、私の会社の関連企業も次々に中国市場から徹底していくような現状となりました。
そこで次に白羽の矢が刺さったのは、東南アジアでした。東南アジアでも安い労働単価を追求して、奥地へ奥地へと入っていく企業が相次ぎ、私達の会社もその状況でありました。
私がラオスで衝撃を受けましたのが、貧困国と言うこともあり、治安があまりよろしくなかったと言うことでしたが、私達の工場では、人口があまり少ないような地域に配属されることとなりましたので、良かったとことと一つ安堵しました。
実際に働き始めますと、現地言葉が全く分からず通訳兼世話役の人に終日付いて頂くような形で縫製の指導を行いました。始めは練習生地で指導をスタートさせたのですが、全く違う方向に縫い進めたり直線縫いができないような形だったのですが、時間が経過しますと直線縫いができるようになり始めましたので、ここでも指導してやっていけると確信しました。
家の方では、通訳兼世話役の方に家の何から何まで説明してもらい、安心して生活できましたが少し感覚がズレており、お風呂を先にはいられたり、調理したものを先に食べた後に提供してくれる等日本の感覚と大分ズレが発生しておりましたので慣れるしかないと強く思いました。
今後もラオスで修練を重ねて自分自身を奮起させていきたいと思います。