フィリピンで海外ボランティア、未経験だったがフィリピン人の陽気で前向きな姿勢に元気をもらう

次はフィリピンでボランティア活動をしていた方の体験談を紹介します。

私は知人の運営している海外ボランティアに参加し、1年間フィリピンでボランティア活動を行いました。ボランティア活動は未経験でしたが、英語が少し話せるということと、大学で日本語教師のプログラムを履修していたため採用されました。
フィリピンの言語は、タガログ語という現地語と英語があります。ただ英語を話せるのは、高校や大学を卒業した人たちがほとんどで、貧しい地域はタガログ語しか話せない人々が多くいました。私は貧しい地域で活動することが多かったので、現地のフィリピン人と交流するときは、英語が話せるフィリピン人が通訳してくれていました。
現地の活動は、主に現地の小学校に訪問することが多かったです。小学校では、教室のイスや机のペンキ塗り等の修復作業、日本とフィリピンの文化紹介、ご飯や文房具の寄付を行っていました。フィリピンは貧富の差が激
しく、貧しい地域は建物がボロボロだったり、食べ物や文房具が買えないような環境でした。教室の修復は子供たちと一緒に行い、楽しく交流しながら活動できました。
また、日本語教室を開いて、興味のあるフィリピン人に家に来てもらい、日本語を教えたり、日本文化を紹介する活動も行いました。日本語教室では、ひらがな、カタカナを教えたり、来てくれた人に漢字で名前を付けてあげました。
漢字はとても魅力的なようで、とても喜んでくれました。日本文化紹介では、上を向いて歩こう等の歌を歌ったり、折り紙を一緒に折ったり、日本食をふるまいました。日本食ではないですが、ドーナッツなどのスイーツはすぐなくなり、フィリピン人は甘い物が好きなんだと気づきました。
日本語教室で最も盛り上がったのは、ソーラン節を披露した時でした。もともとフィリピン人は自分を表現することが得意で、皆ダンスが上手で大好きです。ソーラン節の踊りは、しゃがんだり、後ろにそったりと不思議でコミカルに見えるらしく、踊り終えた後に踊りを教えてほしいというリクエストが殺到しました。
このような形で、1年間ボランティア活動を行ってきました。初めは現地の食べ物に慣れるのに苦労したり、会話ができなくて落ち込んだりもしました。
しかし、フィリピン人の陽気で前向きな姿勢に元気をもらい、喜ばせ助けてあげるために現地に行ったのに、振り返ってみると私が助けられていたように思います。
貧しい地域の方々も、いつも笑顔で前向きで、家族のように接してくれる姿に感動しました。フィリピンでの活動は日本に帰った今も、私の中で一番思い出に残る体験です。