海外、アメリカ、デトロイトで自動車用電装部品の営業として働いた体験談

次はアメリカ、デトロイトで家電メーカーの営業職として赴任した経験がある方の体験談を紹介します。

2011年から2014年まで3年間アメリカデトロイトで勤務しました。家電メーカーで自動車用電装部品の営業をしておりましたが、会社の命令で赴任することになりました。
デトロイトには家族も帯同しましたが、先ずは自分が単身でデトロイトに行き、会社より住宅補助が出るので、契約等は自身でやることになりました。
現地駐在されている方から情報得ながら、住居探しから始まりました。比較的日本人が多い地域でしたので、情報も多く、住居探しにはそんなに苦労は有りませんでした。子供達が週末通う日本人学校もあり、平日は現地校、週末は日本人学校に通学できる環境に借家を見つけました。
着任して直ぐは日本へ帰任する人と引き継ぎもあり、仕事のレベル間、活動内容が言語が異なる事もあり少し戸惑いながらのスタートとなりましたが、帰任者が帰国してからは完全に引き継ぐ内容となり、助けもなくなったので何でも独りでやらざるを得ない環境になりました。
英語はもともと問題なかったのですが、徐々に現地社員とも馴染み、一緒にランチにでかけたりと直ぐに打ち解け、外勤にでて開発営業をしたり、日本本社側とのやり取りに一緒に参加したりと仕事も順調に乗り出しだしました。
自動車の開発営業は先々に販売される開発車両への部品搭載を目指す開発営業が私の役目で、日系の車両は勿論、デトロイトビック3への営業への開発が主の活動内容となります。
仕事の位置付として設計は日本、製造はメキシコ、開発営業はデトロイトと行った体制で特に苦労したのが内部調整で会議を開催するにも、日本との時差、メキシコとの時差があり、それが重なる時間帯を見計らっての電話、TV会議等が多くなりました。
デトロイトにいながらも、出張が頻繁に有り、自動車メーカーもメキシコでの生産体制を強化していることもあり、頻繁にメキシコへ出張しなければなりませんでした。
アメリカ国内でも自動車会社の開発、製造拠点での打合せが多く、ほぼ毎週どこかに出かけている生活が一般化しました。この経験は日本では味わうことのできない貴重な人生経験となっております。
アメリカで西へ東へと出張している間でも家族はアメリカ社会で生活していることもあり、学校の行事、地域の行事等も盛んで、着任して小学校6年、小学校3年生の娘たちでしたが、結構早い段階で英語に慣れたと思います。
結果3年アメリカにいたのですが、3年のうち1年だけ週末に開催される日本人学校に通わせましたが、残り2年は全て現地校だけで週末は2人共にクラブ活動に参加させ、現地に溶け込ます事にしました。おかけで、帰任後も生の英語を覚えたのは家族の大きな副産物となりました。
家族とは長期連休となるクリスマス、イースター、夏休暇時期、サンクスギビング等は極力旅行に当て、ナイアガラ、グランドキャニオンと行った大自然を回る旅行をすることが主となり、思い出も沢山作ることができました。
2014年に会社の命で帰任することになりましたが、私含めて、家族ももう少しアメリカに残りたかったのも事実です。
また、仕事のめぐりでアメリカ勤務することがあればもう一度赴任したいと思います。本当に最高の駐在経験をさえてもらったと思っております。