駐在職員としてベトナム支社工場に派遣 文化の違いに驚きの連続

ベトナムの支社工場に派遣された方の海外仕事体験談を紹介します。

私は、現在山陰地方で縫製関係の会社に勤務しております。縫製業界は、近年中国での労働単価が高騰し、中国市場から撤退する会社が増えております。
私共の会社も縫製単価が上がり過ぎて会社としての採算が取れなくなり、中国市場から撤退して、東南アジアの更に奥地へと進出することが決定しました。
私はまだ中堅職員以前のレベルでしたので、いきなりラオス等の奥地へ入るのはまだ経験不足だとされ、駐在職員として、
元々ベトナムに支社工場が設立されていたのですが、そこの指導員としてベトナムに派遣されることになりました。そこで会社からの紹介で一軒家を貸し切って頂き、ベトナムでの生活がスタートしました。
ベトナムでは、みなさんが想像されるようなバイクが過密している大国で私が一軒家を借りた所も比較的地方にあり、縫製工場については、山手側にありました。
自宅から縫製工場までは近かったのですが、やはり生活の不便さが済んでみて一番のマイナスなポイントでした。実は私が一人暮らしで住んだ一軒家には、私のフォローで世話役の家族が付いて私のお世話をしてくれたのですが、そこに実は問題がありました。
日本人とは感覚が全く違っていて、一番最初に驚いたのは、料理を作って出された際に、先に料理を食べてしまっているのです。
料理ができたと向こうの現地言葉で話してくれてある程度の英語も通じるので何となく料理が出来たことが分かるのですが、食べ散らかしたような後があり、まざまざと感覚の違いを見せつけられました。
次にお風呂についてなのですが、日本と同じようにお風呂にお湯を貯めてくれているのですが、そのお風呂に呼ばれた際にも、汚くアカだらけで、先に入った段階で呼ばれたのです。
しかも入浴を済ませた後で出てきているので、その感覚の嵳に唖然としました。また、赤ちゃんと帯同で居住しておりましたので、非常に赤ちゃんの鳴き声がうるさく、正直家に帰りたくないと言う状態でしたが、ここにしか帰る所がなかったので仕方無しにと言うような形でした。
一ヶ月も二ヵ月も何ヵ月も居住していれば慣れるかと思ったのですが、その使用人として同居している方々の態度がより一層ひどくなる一方でしたので、使用人を変えて欲しいと会社に頼み込みましたが、海外赴任が終わるまで我慢してくれと言うことでした。
これだから弱小企業は・・・・と言う不満が付きまといましたが文句を言っても始まりませんので上手くそこで生活して行くことにしました。
縫製工場の方は、指導が上手く行き届いいており、稀にミシンを修理する位でしたので特に業務上での不満はありませんでした。